コミュニケーションについての雑感-14 
      ネット社会は超大規模井戸端会議? 
       小4「うわさ」作文より 


もともと人間には 他人の うわさ でもりあがる性質があるのかどうかはわかりませんが、「数人が集まって噂話」というのは井戸端会議などと呼ばれてきました。ドラマなどでは奥様方の立ち話とか、会社員の給湯室でのおしゃべりなんていうのがポピュラーですよね。

昭和62年度に担任した4年生に「うわさ」という題名で作文を書いてもらったことがあります。
一部紹介します。

『うわさの問題点』
*うわさだって何人もの人と話していたらどこかで話がこじれて全然違う言葉になっているかもしれない

*ある人の一言で みんなから 軽蔑され、 その人のせいでたくさんの人から嫌な目で見られる。 その人にとってどんな気持ち?
うわさが流れて 決めつけられて自分の本心を壊されてしまう 。そんな嘘っこが本当かわからない 。うわさ 言っている人はどんな気持ちで言っているの?
陰でこそこそ言っている人の顔を見たいわ


→実際にどんどん話に尾ヒレ背ビレがついて、とんでもない話になってしまうことってありますよね。
誰かが何の根拠もなく言い出したことが、いつのまにか 真実 のように語られ、誰も信じてくれなくなる・・・というのは日常茶飯でしょう。
中にははっきりとした悪意をもってデマを流す人もいますよね。
何か気に入らないことがあって行う場合もあれば、特にそういったことはないんだけど、面白半分で「ちょっとからかってやろう」「困る顔をみてみたい」っていうくらいのノリでやる場合も。

それが大ごとになったとしても「遊びだよ、遊び」「こんなことくらいで騒がないでよ」と平然としている人もいますよね。

でもされた方はたまったものではない。


「噂をしている行為そのものに関してのこんな作文もありました。



『疑心暗鬼』
*悪いうわさはその人をただただ追い詰めて行き 、色々な人がその人のうわさを聞いて自分で確かめもしないのに ただ そうなんだと 勝手に レッテルを貼ってしまう

私はうわさをしているんだからされているだろう 。つい最近〇〇さんと陰でコソコソしないと約束しました。けれどお互いにうわさしあっています。




平成元年度に担任した6年生に書いてもらった友達に関しての作文で、何をするでも一緒に行動している女の子Aさんが、もう片方のBさんの悪口をいろいろと書いていました。
そして結びは「いつも仲良しということになっているけれど、私がこのように悪口をかいているのだから、Bさんだってきっと悪口を書いていると思います」でした。
確かにAさんほどではないにしても、若干の悪口を書いていました。

ただ、見方をかえれば、自分の行為がどのような結果を招き得るのかをある程度客観的にみることができているともいえますね。

この「疑心暗鬼」というのは、現代の若者にとってものすごく深刻な問題だと思います。
私も随分と小学生~高校生から相談をうけました。

ちょっとでもリーダー格の子の機嫌を損ねると、あっといまに自分はのけものになっているグループラインが作られてしまう。そこであらぬうわさをたてられてしまう。

ここでさらに問題なのは、そうしてはじかれた子は みせしめ なんですよね。
リーダー格の子からすれば 私に逆らったらこうなる というのをみせつけている。
だから周囲の子たちは一生懸命に仲良しを演じ、意のままに動く。
そうするとリーダー格の子は、この世のすべてが自分の思い通りになるんだと錯覚したまま大人になっていく・・・・



4年生の作文でわりと多かったのが次のタイプです。

『するのはいいけどされるのは嫌』
*僕ははっきり言ってうわさをするのは好きだけど うわさされるのはあんまり好きではない。

*それほど うわさされるのが嫌いなくせに、人のうわさは聞きたくなってしまう 。
そんな時 私はこの世で一番嫌な人間になってしまう 。
でもうわさはあってもいいかもしれない。だって 現に私たちはうわさをして楽しんでいる。変な言い方だけど私はこれからも うわさをし続けます 。



現代のネット社会でもこうした心境は多いかもですね。

きっぱりと否定している子もいました。


『否定派』
*うわさばかりしていない方が自分の身のためかもしれません。


* みんなに うわさ なんかして欲しくない。 特に このクラスには絶対にして欲しくない。 だから私は絶対に人にしゃべらないで欲しいと言われたことは、しゃべらないことにする。
みんなもそうしてほしい



うわさを楽しむ行為は、自分自身にだってはねかえってくるものだという自覚がありますね。
先ほどの6年生の作文はちゃんとはねかえりを自覚していましたが、そうでない場合が世の中には多すぎます。

自分がされて嫌なことでも、他人に対しては平気で行う
それが自分にとって楽しければいいじゃないか、という気持ちです。



こうしたことは昔からありました。
ただ現代が決定的に違うのは、噂の広がる規模がケタ違いに広くなりうること。
小さな規模でのものとはく比べ物にならないくらい、心への殺傷能力が高い・・・心どころか本当に死に追いやってしまうこともある。この世のすべての人達が自分を信じてくれない、攻撃している、消えろと思っている・・・・という感覚になりますから。

はじめの一歩はほんの遊び心かもしれません・・・でも広がっていくうちに変化する。
小規模でのうわさ話とは桁違いに尾ヒレ背ビレがついてとんでもない歪んだ広がりになり、個人攻撃されるわけです。

ネットに書き込む際に、仲間内のちょっとしたからかいのノリでいたものが、そうした広がりになるのが普通なんだという自覚というか・・・そういう結果への想像力を働かせてほしいものですよね。

スマホは大変便利な道具ではありますが、一つ間違えれば危険なツールになるというのは、若い方々なら私よりも実感されているのではないでしょうか。

ネット社会でのマイナス面があたり前になればなるほど、いつ誹謗中傷の刃が自分に向けられるか分かりません。

自分も楽しくみんなと笑顔になれる社会にするために、それぞれが心掛けてみませんか?